ユダになる

最後の晩餐のイイェスは自分を売ったユダを指差している。
その指先にある人は未だになぞたが。

OTOさんの死に伴いいろいろな書類上の「間柄」が問題となった。
死亡診断書に記入する間柄。
葬儀の立会人及び引き取り人としての間柄。
今後、韓国に帰る時も何かと必要だろう。

Who am I?
私は誰でしょうか?
結婚をしても苗字を変えていない私はKimとしてしか生きていない。
子どもたちを通じてたまに「ソーンさん」になったりした。
だから電話で問い合わせがある時は私から「私は誰でしょうか?」などと相手に聞く場合もある。
そんなKimがKimを超えてOTOさんとの間柄を言う。
私はこの人の何なのか。
大学病院で介護のための会議をした時に血縁関係がないことは示した。
お金のやり取りをしなければならない福祉事務所には「知り合い以上の関係」ほどにしておいた。
今回移った病院では「知り合い」ほどにしておいた。
葬儀屋の人たちには「身元引受人」に、血縁関係のないから死亡申請書はお医者さんの確認で通った。
時間が経つに連れて私はOTOさんとの関係を薄いものにした。
自分に皺よせてくるだろう責任から逃れたい本能的なものだったのかも知れない。

そんな私は一つだけ寂しいことをしてしまった。
葬儀屋が大和市のものだった、ネットで調べて隣の市で近い感じがあったが、とても遠く感じられる所だった。
そこに3日間眠ることになってしまったことがかわいそうだ。
今日、火葬をするが、葬儀屋にお願いをしてOTOさんの住んでいた所と私の家の前を通っていくようにした。
それしかしてあげられなかった。
棺の中には彼が持っていた彼のお母さんの写真と彼の住所を入れてあげるつもり。
今のどころ何がもっと出来るか分からない。
何が出来るんだろう。
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by sillycon76 | 2012-02-04 07:18 | Comments(0)

何かとツマラナイものに執着をしてしまうBlog中毒者


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